台湾最高位の媽祖廟で、媽祖と月下老人に願いを♡縁結びのご利益は海を越えて届くと言われるほど!
大天后宮とは?台湾で最も格式高い媽祖廟
台南の大天后宮(ダーティエンホウゴン)は、台湾で最初に政府の祭祀として正式に認定された媽祖廟です。俗に「大媽祖宮」と呼ばれ、毎年春と秋に執り行われる祭典はかつて官吏や有力者のみが参加できる格式あるものでした。現在は媽祖を信仰する人々にとって欠かせない聖地となっています。
廟の前身は、明朝末代の藩王・寧靖王の邸宅です。1683年、施琅将軍が率いる清の軍が台湾海峡を渡って台湾を平定した後、民心を得るために寧靖王府を天妃宮へと改築し、媽祖を祀りました。翌年には媽祖が「天后」の称号を与えられ、廟名も「大天后宮」へと改められ、台湾初の官建媽祖廟となりました。1720年(康熙59年)には朝廷の祀典(公式祭祀の制度)に組み入れられ、「祀典大天后宮」の名が定まりました。1818年(嘉慶23年)に火災で損壊しましたが、官民の寄付で再建され、その後も十数回の修繕を経て現在の姿に至っています。1985年に古跡に指定され、2000年の文化資産法改正により国定古跡へと格上げされました。
媽祖(天上聖母)とはどんな神様か
台湾の廟を初めて訪れる方は、まず「媽祖」について知っておくと参拝がより深く楽しめます。
台南市文化資産管理処の公式資料によれば、媽祖は俗姓を林、名を默といい、宋の時代(960年)に福建省莆田の湄洲島に生まれました。生まれてから満月になるまで一度も泣き声を上げなかったため「默(もく)」と名付けられたと伝わります。幼い頃から天文・地理に通じ、海の気象変化を読み取って人々の災難を予防したことから「神女」と称されるようになりました。28歳で昇天した後、莆田の人々が廟を建てて祀り始め、その霊験が広く伝わるにつれ、沿海の漁師たちをはじめとする多くの人々の信仰を集めるようになりました。歴代の朝廷からも繰り返し封号を与えられ、台湾海峡を渡る移民たちが航海の守護を祈ったことから、媽祖信仰は台湾全土へと広がり、今日では台湾で最も普及した民間信仰のひとつとなっています。
廟内の見どころ:伝統工芸の宝庫
大天后宮は、その格式ゆえに最高の職人たちが腕を振るった廟でもあります。廟内の壁面には各時代を代表する台南の名だたる絵師たちの筆が残り、扁額・文物・石彫・木彫などの装飾品はいずれも廟宇芸術の精品とされています。
正殿に入ると目に飛び込んでくるのが、黄金色の巨大な媽祖像です。左右には千里眼将軍・順風耳将軍が威風堂々と立ち、いずれも泥塑(土と漆を用いた彫像技法)の傑作として高く評価されています。
廟に残る貴重な彩繪(壁画)も見どころです。
・
木蘭從軍
場所:後殿・聖父母廳の壁面
台南の巨匠「潘麗水」による作品で、花木蘭が父に代わって従軍した南北朝の故事を描き、忠・孝・勇の精神を表しています。
・
東山捷報
場所:三川門内
名絵師「陳玉峰」が描き、後に「丁清石」が重描したもので、東晋の名将・謝安の沈着な姿を題材にしています。
・
龍柱
場所:廟門前
1948年に福建の石彫師「張木成」によって制作されました。台北産の観音石を選材し、各柱に上下二頭の龍が巻きつく形で、龍身のすき間には人物・馬・花鳥が透かし彫りで描かれる「内枝外葉」と呼ばれる技法が用いられています。龍柱をぐるりと一周すると、どこかに張木成師匠の落款が隠されているので、探してみるのも楽しそうです!
縁結びの神様・月下老人のご利益
大天后宮を多くの参拝者が訪れるもうひとつの理由が、後殿に祀られている「月下老人」。大天后宮の月下老人は1年間に300組以上の縁を結んだとも伝わり、「縁粉月老」として知られています。関係をもっと温めたいカップルにも、結婚を急ぎたい方にもご利益があるとされ、海を渡って祈願に来た参拝者の縁も成就したという話が今に語り継がれています。
参拝後は月下老人から「縁粉」と「赤い糸」を授かります。縁粉は縁を引き寄せ、身に付けていた赤い糸がいつの間にかなくなっていたときは、月下老人がすでに縁結びをしてくれた証しだと言われています。
台南には「府城四大月老」と呼ばれる4つの廟(大天后宮・祀典武廟・大觀音亭興濟宮・重慶寺)があり、それぞれに特色があります。隣接する祀典武廟の月老は「斬桃花」(不要な縁を断つ)のご利益でも知られ、大天后宮と合わせて参拝する方も多いですよ。